局所性ジストニア|不要不急の手術は延期になりました

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私が東京女子医大で外来受診したのは2020年2月の半ば。
その頃は「院内でもマスクの着用は義務付けられております」の表示にピンときていないほど、こんな時代がやってくることを予期していなかった。

あれからみるみるイベントやコンサートは中止になった。手の症状の悪化により大変な演奏の仕事を控えて手術を待っているタイミングと、コロナウィルスの影響で仕事がないことが、うやむやになっていた。


コロナウィルスの影響で大切なコンサートやリサイタルが中止になっている音楽家の友達に紛れているような顔をしていたが、私にとって、もともと手術待ちの空白の期間だった。手術の延期によってその空白の期間が、延びようとしているようだ。

コロナウィルスの影響で約3ヶ月半、平先生の手術はストップしていたそうだ。そうですよね。私の手術は早くて年末。この後の東京の状態ではもっと先になるだろう。仕方ない。私が楽器を吹けなくても誰も死なない。

音楽家のジストニアの定位脳手術は整形手術に似ていると思う。本人にとっては大問題だ。でも他の人からしたら不要不急。諦めることに慣れすぎて、正直感情がない。

ジストニアの手術はもともと約半年待ちだった

私が手術を心に決め、紹介状を書いてもらい東京女子医大の平先生の外来を受信するまでに2ヶ月半。外来受診からおおよその手術予定日まで約4〜5ヶ月。

このような事態にならなくても、夏くらいまでは大きな演奏の仕事を引き受けることを控えていた。去年の12月から手術をすることは心に決めていた。

そんな感じで、やりがいのない人生の暇つぶしと将来の貯金作りのような気持ちでYouTubeをはじめた。ある程度熱中できて良い暇つぶしだし、「障害がある私にも、できることがまだあるのだ」と久しぶりに希望のようなものを感じたりもした。

健常者かと錯覚する日々だった

私の左手のジストニアの症状はごく一部のテクニックにしか支障をきたさない。しかし、例えばひとつのコンサートを引き受けたら、そのごく一部のテクニックは何度も登場する。

お金をいただいて、たくさんの方々を前にして仕事として演奏する以上、それをスルーすることは不可能。つまり、プロの仕事をプロとするのは難しい。

そして、左手の神経はイカれていても、私の耳は死んでいない。自分の意図しない音を出すのはかなり精神的に苦しいものがある。

ジストニア以前、私はオーケストラのエキストラの仕事や素晴らしい仲間と演奏することを生きがいにしていた。音楽をやっていて1番喜びを感じられる瞬間はアンサンブルで対話ができたときだと思っている。

残念ながらこの身体では叶わない。

自粛期間中の本番に向けるでもない気軽な練習はなんでも吹けると錯覚してしまう。実際にジストニアだから吹けないものばかりでもない。練習は必要。

でも、どれだけ積み上げても積み上がらない部分が私にはある。クラリネットを吹くのをやめたら、この音はなくなってしまう。でも、私にできることはごく限られている。

東京は今日も大変みたい。

こんな個人的な問題を解決する手術によって、他の人に迷惑はかけられないことは自覚している。限られたできることを粛々とおこない、淡々と生きるしかない。

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