2020年9月23日、左手ジストニアに対する定位脳手術を受けました。
手術を受けたいと思って、動き始めたのは2019年11月。外来の予約待ち、手術待ち、コロナの影響によって、手術までは約一年弱かかった。
その期間、覚悟をする時間として必要だったのかもしれない。
練習しても前に進まない身体で手術を待っている間、人生までもが前に進まないのは嫌だったので、YouTubeを始めた。少しずつだったけれど、たくさんの人と出会えた。生きていることが無駄ではないと少しだけ感じることができた。
私がジストニアを自覚したのは2018年1月、28歳のことだった。手術の前日に31歳になった。
音楽家として良い年齢の2年半以上、ジストニアを抱えて、思うような活動ができなかった。でも結果治った。絶望を抱えて生きていたこの期間もいつか過去になるのだろうか。
外来受診〜手術まで
2020年2月前半に東京女子医大の平先生の外来を受診。手術の約束をし、
そこでは「おそらく6〜7月くらいに手術かな」と言われていた。
手術の日程が確定したら1ヶ月前くらいに連絡をいただけるそう。
そんなこんなでCOVIT-19の感染拡大により、世界はあっというまに変わってしまった。2月末から6月いっぱいまで手術はストップしていたようで、私のもとに電話がきたのは8月18日だったかな。お盆休みの最後の日、スーパーで買い物していたらいきなり電話が入った。
このような世の中になるまではいち早く手術を受けたかったが、みんなが大変なこんな世界になってしまってからは、「私のような不要不急の手術はしばらくしてもらえないだろう」と半ば諦めていた。
手術を受ける覚悟の記憶も遠くなっていた。手術で2週間以上仕事を休むこと、万が一のことも考えて身の回りのことを片付けることで手術まではバタバタだった。
手術が決まって
術後の体調が良くなくてもYouTubeの更新が止まらないように、2ヶ月先まで動画の更新予約をした。ちょうど9月からはnoteでクラリネットサークルというサービスを立ち上げていたので、その運営にも追われている時期だった。
加えて、同居人にも家族にも手術のことを猛反対されていたので、一滴だって弱音を吐くことはできなかった。すべて私自身が望んで、自分で決めたこと。
入院にあたって金銭的な保証人を立てることができなかったので、先にお金を納めて解決した。それだけでよかった。ほとんど誰にも報告せずに手術をした。そのことで手術をしてもらえないのではないかとずっと心配していたが、そんなことはなかった。良かった。
とはいえ、もしもこの先身体が不自由になってしまったとき、何ヶ月も働かずに生きていける貯金なんてなかった。不安だった。責任はすべて自分でとるなんて言っても私ひとりにできることなんて、たかが知れている。
せめて、身の回りをきれいに整えた。いつ手術をするか知らない家族に手紙を書いた。コロナの検査を受けてから、入院することになっていた。
こんなに待って手術が受けられなかったなんてのは絶対嫌だった。
入院の日まで、バタバタと身の回りのことを片付けながら体調に気をつけながら過ごした。