局所性ジストニア

ジストニア|定位脳手術を受けました(手術当日編)

クラリネット奏者の葛島涼子です。最近ではネット周りでは「クズシマ」という名前でYouTubenoteでも活動しております。

2020年9月24日
東京女子医大でジストニア治療のために定位脳手術を受けました。

手術の日に感じたことをありありと描写していきます。「怖いの見たくない」という方はちょっとだけ閲覧注意です。そんな私も怖いのもグロいのも苦手です。


起床〜朝の支度

手術当日。7時30分から、手術台に頭を固定すフレームを装着するので、それまでに朝の身支度を整える。入院してから毎日看護師さんに起こされるまでは寝ていた私でさえ、流石に緊張しているのか、自然と6時に目が醒めた。

前日に看護師さんから受け取った手術着に着替えて、手術中の血流が悪く夏の防止?のためのメディキュットみたいな靴下をはく。手術着は紙みたいで心許ない。下着もつけずに直で着るので、スースーするし、紐で縛っているのだけなので、はだけそうで心配。下半身は自分のパジャマ。汚れることはないとのことだったので、お気に入りのものを。

この日は一日絶食。朝ごはんもなし。歯を磨いて顔を丁寧に洗う。

看護師さんが検温と血圧測定、そして痛み止めのテープをまゆの上に貼ってもらい、痛み止めの内服薬を飲む。

もう病室には帰れないそうなので、手術室に持ってきてもらう楽器などの支度を整えて、彼に連絡。ピースしている余裕あり。手術では化粧コンタクトもダメなのでスッピンでメガネです。

固定具装着

いつが1番痛いですか?」手術説明の時に先生に質問したら、
「人によりますが、手術前に頭にフレームをつける時が1番痛いです」
という答えでした。
ちなみに手術中は痛い事はないという説明だった。

そんなことを聞いていたので、いきなりビビりながら向かう。

ナースステーションの裏で、いつも毎朝様子を見にきてくださる若い先生と、看護師さんのふたりで、フレームを装着していきます。(後から、私服で手術に入る先生が覗きにきてくださった)

車椅子に座った状態で、まずは点滴。
この時さした針から、痛み止めやら抗生剤やらを入れていったので、この針は翌日の夜寝るまでずっと、抜けませんでした。

「気分が悪くなったりしたらすぐに言ってね」
と言ってくださり、フレーム装着開始。

頭の4箇所でガッチリネジ?をしめて固定していくそう。まずは、固定する場所にペンで印をつけます。髪の毛が邪魔。前髪ピンで止めてこれば良かった。テープで前髪止められました笑。

固定する4箇所に麻酔を打ってもらいます。
「この麻酔が痛いのか‥‥」と思ったら身体が硬くなった。
でも、先生が、「ちょっと痛いよーちくっとして、入る時にちょっと痛い!」という細かい解説を入れながら注射してくださったので、全然怖くなかったです。痛みも大したことなかった

それに、先生のおっしゃっていた通り、手術の一連において、これ以上の痛みがあることもなかった。現代医療すごい。ありがとう麻酔。ありがとう先生。

麻酔が終わったらいよいよフレーム装着。頭に金属の音がガチャガチャ響く。
先生がずっとなんか話かけてくださるけどあんまり余裕がない‥‥。でもこれまでにいろいろ会話した先生方だったから、信頼できたし安心できた。

先生「音大は違う楽器との合コンはあるの?」
私「そもそも男性の人数が少ないのでないです。音大では男であるだけで無条件にモテます」
先生「俺も音大入れば良かったのか」
私「‥‥(たぶん外科医のがモテますよ先生。)」

そんなような本当にくだらない会話だったと思う‥笑

大きな病院の先生っておじさんばかりかと思ったら、みなさん多分私とそんなに年齢変わらないくらい?

この日まで、5日間も入院して、毎朝回診にき来てくださる時に先生とポツポツとした何気ない会話も必要なことだったみたい。

麻酔がきちんと効いているようで、装着するのは全く痛くなかった。
締め付けられて一瞬視界がグラグラしたけれど、大丈夫だった。先生方も看護師さんもいてくれたから、全然怖くなかった。

手術の前に一人で東京に向かう行き道のほうが、よっぽど不安だった。

平先生のチームの先生方も看護師さんもみんな、とても信頼できる。

私の周りの人は手術のことをこれでもか!というくらい疑ってかかっていたし、私もそうだった。

でも、この頃の私は、手術に関わってくださる全員を完全に信頼しきっていていた。

当たり前だけど、みんなプロだし、本気だ。自身が手術がうまくいくようにみなさん尽くしてくださる。心から嬉しかった。私の手術のために力を尽くしてくれる人たちのことを私が信頼しなくてどうする、、、。

器具をつけたまま、車椅子でMRI。器具をつけているせいで頭が重いのでうまく歩けない。ヘルパーさんと看護師さん、先生も後から来てくださった。

たったひとりで手術を受けること決めてからこの日まで、ずっと心細かった。不安だった。

反対される中、自分の意志で手術を決めた以上、そんなこと、誰にも言えなかった。心強くて、嬉しくてMRIのあの騒音の中で少し泣いた。

MRI〜手術室へ向かう

MRIが終わったらこのまま手術室にいくそうなので、お手洗いを済ませる。要介助状態なので、トイレの中まで看護師さんがついてきてくださる。申し訳ない。
そしてこのタイミングで生理がきた。空気読んでくれ。私の人生はいつもタイミングが悪い。お腹痛い、さいあく。

ここでヘルパーさんとはお別れ。
「大丈夫だから、頑張ってね」
と声をかけてくださった。安心感のあるお母さんみたいな方だった。

看護師さんに車椅子手術室まで連れて行ってもらう。少し時間が早かったようで、手術室の緊張感漂う廊下みたいなところで待つ。9時30分手術開始。コンサートの本番を待っているみたいだ。

血圧を測ってもらい、体調に異常がないか改めて確認。楽器を持ってもらっている。いつ組み立てるか心配だったので質問したら、「中に入って手術室の看護師さんに確認しましょう」とのことだった。

手術室専門の看護師さんが迎えにきてくださった。明らかに仕事ができそうな頼もしい方だ。一瞬で信頼できる人だということが伝わった。

「楽器は手術室に入って手術台に上がる前に組み立てましょう。私に持ち方など教えてくださいね」と手術室の看護師さんがおっしゃった。

いよいよ手術室の扉が開いた。看護師さんの「おはようございます」の声と共に一緒に挨拶するくらいの余裕はあった。

手術開始前

手術中はコンタクトレンズができず、頭に器具がついているのでメガネもできず、ずっと裸眼(視力0.01以下)の状態だった。平先生が手術台のところにいらっしゃるのは声と気配でわかったけど、他の先生がどなたがいらっしゃるのか手術終了後までわからなかった。多分目が見えていたら、恐怖もあったかもしれないけれど安心感もあったと思う。残念。

楽器を組み立てて、簡単に看護師さんに持ち方などを説明する。音を出すかもしれないので、一瞬音出しさせてもらった。手術室でクラリネットの音が鳴り響く。なんか滑稽だ。

準備ができたら、まず、本人確認のために名前と生年月日を言う。
実は手術前日が誕生日だった。手術室の看護師さんが「昨日お誕生日だったんですね!おめでとうございます!」と言ってくださった。嬉しかった。一瞬だけど、緊張の糸が解けた。

そして、「今日はなんの手術をするか簡単に説明できますか?」と質問される。「左手のジストニアのための、右の脳の手術です」と言う具合に答えた。いよいよ緊張してきて、話している口周りが震えているのを感じた。

車椅子から自分で立ち上がり、手術台には自力で登った。

手術開始

頭にはめているフレームをガッチリ手術台と固定します。
「大丈夫?角度きつくない?」と先生が聞いてくださった。正直、フレームはめていて感覚が鈍くなっていてよくわからない。頭周りのの感覚は鈍いのに緊張はピークに達し、身体が震えているのがわかる。

「手さえ頭のところに持ってこなければ身体は何しててもいいからねー。バタ足してもいいんだよ笑」と気さくな感じで先生が声をかけてくださる。それなのに、終始心に余裕がない。

「暑くない?寒くない?」と聞かれたけれど、緊張でよくわからない。怖くて身体の震えが止まらないので、部屋を暖かめにしてくださった。

手術台に固定されて、心は落ち着いているはずなのに、恐怖で全身の震えが止まらない。

私のキンキンに冷えた手を看護師さんが握ってくださる。ビニールの手袋ごしでも手の暖かさを感じると安心した。

看護師さん「音楽かけましょうか?」
私「何かクラシック以外、日本語以外のものをお願いします」
ワンオクをかけてもらった。よく知らない曲で良かった。その曲がずっとリピートされていたのに、もう今どんな曲だったか思い出せない。

固定されてからは、あっという間だった。

定位脳手術は全部で短くて25分、長くて50分くらいの手術だと伝えられていた。時計がうっすらと見えた。どんなに辛くても数十分で終わると思ったら頑張れた。

身体中に様々なシールが貼られ、血圧を測られながら、頭の消毒が始まり、平先生が「麻酔撃ちまーす、これだけちょっとチクッとするから頑張ってね」とおっしゃった。
フレームをつける麻酔と同じくらいの痛さ。でも1回きりだったので、全然平気だった。「もう終わりですか?」と聞いてしまうくらいだった。

ここからあれよあれよと頭が開けられていったよう。
ジャキジャキと髪の毛を切るような音は多分頭を切っていたのだと思う。意識のある中でそんなことをされていたのだと思うと、今考えても震えが止まらない。

でも痛くはない。髪の毛がぶちぶちと切れるくらいの感触。
ちなみに、東京女子医大のチームは唯一定位脳手術の時に髪の毛を剃らないのだと、のちに先生に教えていただいた。一部分くらいハゲてもいいと思っていたけど、正直ありがたい。

都度都度、頭に消毒液をかけられながら作業が進んでいくので、時々冷たい感触がある。

何十分も立っているのに震えが止まらなくて、先生に
「大丈夫〜?」と聞かれる。
私「心は大丈夫ですけど、身体の震えが止まらないです」
本当にその通りだった。

恐怖で意識を失ったら、楽器の改善度が見れず手術は成功しない。
人間はしっかり呼吸をしていれば、意識を失わないと思うので、手術台の上ではずっと「吸って、吐く、吸って吐く」と思いながら、必死で呼吸していた。
看護師さんがずっと腕をさすってくださっていた。

頭蓋骨に穴を開ける(怖いとこ)

あれよあれよといろいろ進み、いよいよ頭蓋骨に穴を開ける時がきた!ここまで本当にあっという間だった。多分手術台に横になってから。10分程しか経っていなかったと思う。

「大きな音が鳴りますけど、絶対大丈夫ですからね」絶対に力が込められていたように思う。
「30秒くらいで終わるので、頑張りましょう」ドリルを持っていると思われる先生がそう言った。人は終わりがある苦しみは耐えられるようだ。

あっという間に始まった。「ゴゴゴゴゴゴゴゴ」と歯医者のすごいバージョンの音が頭蓋骨に響き渡る。全然痛くないけれど、なんと形容して良いかわからないくらいの恐怖だった。

最初は怖すぎて何も考えられなかったけど、だんだん「まだ終わらないのか??」と考えるくらいには余裕になってきた。

痛みはないけれど恐怖がすごい。歯医者で痛くなる一瞬前のような感覚がずっと続いていた。

それから秒数を数え始めたけれど、おそらく全部で30秒以上かかっていたと思う。。貫通に近くに連れて、耳の横が熱いような感覚が少しあった。息をすることだけに意識を傾けた。手術台の上に仰向けになって寝ていると、ライトしか見えない。怖いと言う気持ちを拭えない。看護師さんがずっと声をかけてくださっている。

「ボコ」っという少し鈍い音がして、ドリルが止まった。貫通したみたいだ。なんだか耳の奥に不思議な感覚がある。

「山場は越えましたよ!」と看護師さんの声。
何分間恐怖に震えているんだろう。ここまできても慣れない。

「もうあとちょっとだからね」と平先生の声も聞こえる。

「耳の奥が痛いような熱いような感じなんですけどこれ、大丈夫ですか?」と聞いたら、別の先生が「ここだけ麻酔効かないんですよ」と怖いことを言った。でもその声で、入院中にお世話になったあの先生だ!ということが発覚したので、なんか変に安心する。

それ以上痛くなることはなかったけれど、頭に穴が空いていると思うと、ひどくゾッとしたし、麻酔は効いていたけれど、頭の奥、(頭の奥には耳があるなんて生まれて初めて感じた)になんだかずっと不思議な感覚があるような気がしていた。

焼くとこ(大事なところ)

ここからが手術で1番大切なところ、脳の一部を焼いて、ジストニアを取り除きます。

当たり前だけど、視力0.01しかない私の視界には天井しかないので、頭の横で行われていることや先生の姿は見えない。脳手術って歯医者さん以上に先生が上にいるんだなぁ。

怖い恐怖に対しても緊張していたけれど、1番この時に対して緊張していた。手術の恐怖はたった数分間。1番大切なことは、自分の症状が手術でしっかりと治ることだ。本当に治るのかどうか不安で、怖かった。手術に対する恐怖のナンバーワンはこれだった。頭を開けたのに治らないなんて、辛すぎる。

テレビで、脳に熱を与えた瞬間に手が動くようになって感動している患者さんを見た。本当にあのようになるのだろうか。

前日に先生からの説明で、「その場で症状の改善が見られない患者さんもいらっしゃいますが、我々が施すとは同じですのでご安心ください」のようなことを言われた。効果が出てほしいと期待していた。

ドリルでダメージをくらって、ゼーハーしているうちにあっという間に始まった。

「では楽器を持ってみましょう」と看護師さんからクラリネットを手渡される。楽器を持ったら恐怖による震えが止まった。考えたら、これまで、震え上がるような緊張の中、何度も自分の足でステージに登ってきたんだ。人間の反射ってすごい。

「症状が出る指の動きをずっとしててね」と先生から指示。
音は出さずに指だけ動かす。寝た状態で楽器を持つって大変だな。右手が痛い。

はじめに先生から「これはどうかな?」と聞かれたときは何にも変わっていなかたった。少し焦る。でも必死に指の動きを続けた。

「少しでも変わったことがあったら言ってねー」と言われても何も変わらない、、、一度だけ、左足の足先に痺れを感じたのですぐに伝えた。
次に「これは ?」と聞かれる頃には足の痺れは取れていた。

感覚は微妙なものなので、聞かれてから答えるまでに「少し待っていただけますか」と、時間をいただくこともあった。

足の痺れを感じてから次の変化で、指の感覚が少し変わったような気がした。でも正直はっきりとした感覚ではなかった。「もしかしたら治らないかもしれない」と、緩やかに絶望が押し寄せてきた。治らないのが1番怖い。

少し改善が見えたような感じだったので、楽器と一緒に持ってきたパソコンに切替える。目が見えないのでキーボード位置が全くわからないし、パソコンでは症状は少し出るけど出ない時もあるので、こんな微妙なこと判断できなかった。

「どうですか?」と聞かれて、「大丈夫ですね」とトンチンカンな答えを返すくらいだった。パソコンならこの指でも大丈夫、指に変な麻痺がないことはわかった。

再び楽器に持ち替える。
なんか改善されたような気もするし、しない気もする。指の動かし方(フォーム)を少し変えたら指の巻き込み(ジストニアの症状)がなくなったような気がした。でもここは重要だ、わずかに残っている気力と体力と集中力を振り絞り、指に意識を傾ける。

この辺りは記憶が曖昧だけれど、先生方が「指動いていますよ」「素人の僕たちからみても変わったってすごいですよ」と言われ渋々「はい、、、」と言ったような気がする。

完全に改善された自信がなかった。

でも振り返ると、あの時もほぼ直っていた状態になっていたのだと思う。手術の寝た姿勢でよくわからなかったのと、ジストニアを誤魔化すフォームのせいで、症状の改善を実感しづらかったのだと、振り返ると思う。

あまり手術が長引くと身体に負担がかかり良くないそうなので、先生方も早く場所を見つけたいのだろうなと感じていたからこそ、私は自分の感覚に神経を張り巡らせることに必死だった。

「少し前にずらしたらよくなりましたね」なんて先生同士の会話の声を聞きながら、楽器を再び看護師さんに預け、複雑な気持ちのまま手術台の上で脱力していた。

平先生より「もうあと5分くらいで全部終わるからねー」と声をかけられる。これで終わりなのか。

この後のことはほとんど覚えていない。先生がいろいろなことを話しかけてくださった「クラリネットはなんでこんなに金属いっぱいついてるの?」「誰がこんなにキーを多くしたの?」など、雑談のようなことだったと思う。多分この雑談がなければ、意識飛んでいたと思う。なんとか必死に答える。でも頭の中では「本当に治ったのだろうか?」と言う考えがグルグルしていた。

手術終了

頭を閉じる作業はあっという間だった。気付いたら、もうすべて終わってシャンプーされていた。お医者さんにシャンプーしてもらえるなんて不思議な体験だ。
看護師さんや先生がいろいろ話しかけてくださったけど、終始余裕がない。思考も感情も忙しい。

術後は頭を動かせないので、手術台から、担架へはスライダーで移動してもらった。あれ、なんて便利なのかしら。するっと移動できて笑ってしまった。もうそのくらいの余裕はあった。

手術室でフレームを外してもらう。外すと途端に痛みが来るらしい。すぐに点滴で痛み止めを入れてもらう。痛いけれど、全体的に身体の感覚が鈍っていてよくわからない。

この手術で感動したのは、先生の手際のよく的確で安全な手術はもちろん、手術室の看護師さんの気遣いの素晴らしさだ。恐怖で震え上がる私の身体をずっとさすりながら、先生方の指示で動きながら、ずっと身体だけでなく気持ちも汲み取ってくださった。

手術室を出る時、なんとしても看護師さんにお礼を言いたかった。

頭も痛いし、手術を終えて脱力してしまっている身体だったけれど、残された力を全部振り絞って、
「〇〇さんありがとうございました、すごく心強かった」と伝えた瞬間に涙が止まらなくなった。安心したみたい。
「良くなりますからね」看護師さんはそう声をかけてくださった。この言葉は本当だったことを翌朝知ることになる。

その後ずっと泣きながら運ばれていたら、運んでくださっていた先生が「頭、涙が出るほど痛いですか?」と言う冷静沈着なコメントをくださって、先生のそう言うところも好きだなと思った。

病室へ

術後、ボロボロすぎる見た目が笑えて写真撮っておいた、白いところが術跡、絆創膏のところはフレームの跡。いろいろ汚くてすみません。

手術室にいたのは50分間くらいだと思う。病室に術後は24時間は絶対安静。
病室についたのは11時くらい。12時過ぎたら、水は飲んで良いそう。

トイレはベットの上で。
バルーン(管)入れるか簡易トイレかどちらにするか聞かれる。
簡易トイレはちりとりみたいなのに、おむつが敷いてあってそこですると言うもの。この歳にして、トイレの世話をしてもらうことになるなんて‥‥。なかなかつらかった。

その日の午後に寝たきりのままMIR。異常がないか確認。
あとは日すらベットで寝たきり、長い24時間だった。薬を入れてもらっているので頭痛はそこまででもない。それより楽器が吹けるような手になったかの方が心配だった。寝たきりなので楽器を手元に持ってくることもできない。

手術の日の午後、平先生をはじめ、手術に関わってくださった先生方が回診にいらっしゃった。
先生「MIRの結果は問題なかったからね」
先生「麻痺とか話づらさとかない?大丈夫?」
私「大丈夫です‥。楽器の改善度が心配です」
先生「楽器は明日からだね。」
と言う短いやりとりする。

眠ったり起きたりしながら、24時間をなんとかやり過ごす。スマホを見るしかできることがない。手術の報告する相手もそんなにいないし、動画を見ても直ぐ飽きる。半沢直樹はもう全部観てしまった。

早く時間が経ってほしいと思ったけど、治っていなかったらどうしようと思うと、楽器を触るのが怖かった。

長い夜だった。
深夜に起きて、頭が痛くて、ナースコールで薬を足してもらうようお願いした。

続きです

ジストニア|定位脳手術を受けました(術後編)

2020年、3年近く苦しんだジストニアを直すために定位脳手術を受けました。手術当日のことは上記の記事に書きました。この記事では手術を終え、回復と症状の改善までを綴ります。

手術翌日

手術翌日、車椅子でCT。

この検査がOKなら歩行が許可される。トイレに自分でいける喜びよ!
早く終われと思いながら完全介助してもらいながら、検査へ。

傷口が若干痛むけど、フレーム跡の痛みはもうほとんどない。頭痛ではなく、傷跡の痛みという感じ。

先生の許可が出るまで、ベットで待機。起きあがれるようになってはじめにしたことは楽器を触ること。

ベットの横に置いてもらっていたクラリネットをなんとか引き寄せ、ベットの上で組み立てる。怖かった。これで治っていなかったら全部意味のないことになってしまう。

まずは両手でキーの感触を確かめる。そして、いつも指が動かない左手の小指の動きを試してみる。信じられないことに自分の手の感覚まま、ジストニアの症状だけごっそり切り抜かれていた。手術は成功したようだ。安心と喜びと長い緊張状態が解けて、気付いたら声が出るくらい泣いていた。

先生から聞かされていた後遺症はこの時点では何もなし。
先生に伺ったら、術後2〜3日目をピークに脱力症状や言葉が出ない、などの症状が出て緩やかに回復していくことが多い、とのことだった。後遺症はこれから出る可能性があるのか。

そして長い絶食明けの食事。この時食べたツナと豆のサラダをサンドイッチにしたものは、私の人生のナンバーワンサンドイッチに認定された。

回復〜退院

検査の結果問題なく翌日には退院許可が出た。歩いてみても何も問題ない。力も入るので荷物を持てる。それに早く楽器を練習したいと思った。これ以上入院していたら体力の低下が加速しそうだ。

楽器を持って直ぐにひとりの先生がきてくださり、症状が改善されたことを報告。その後、平先生はいらっしゃらなかったけれど、先生方が4名ぞろぞろいらっしゃった。手が良くなった事が伝わっているようで、手術をしてくださったスーパー冷静クールな先生がニコニコしている。「やったじゃん」と言ってくださった。

多分若い先生たちは私と同じくらいの歳か、下手したらもう少し若いのかもしれない。こんなすごい手術をする先生たちも、普通に話していると友達にいそうな感じの普通の人間だなと感じる。

先生方がみんなさん話しやすかったので、この入院は苦ではなかったし、たくさんの方のお心遣いによって手術は悪い思い出にならずに済んだ。もちろんもう一生こんな経験はしたくないけれど。

手術をしたのが木曜日、土曜日の朝には退院した。なんだか感慨深い気持ちと、いち早くここを抜け出したい気持ちが入り混じっていた。

定位脳手術の後遺症について

今この記事を書いているのは術後9日目。結局、一度も後遺症は出なかった。単にラッキーだっただけだと思う。私の人生においてこの類のラッキーは珍しい。しばらく素直に喜べなかった。

術後1週間後頭を止めているホチキスをとってもらうために、再び女子医大に行ったけれど、後遺症が出ていないならそういうこともあるし、もう喜んで良いとのこと。
ホチキスがついている間はなんだか頭がつる感じかしていたけれど、傷の痛みがあって薬を飲んだのは退院してきた夜が最後。

抜糸後は、カサブタになっていて、触ったら血が出たので、そっとしておいたけれど、それ以外は問題なし。ジストニアの症状だけがきれいに取れた。

もちろん、三年近くこの指をかばって演奏していた少し編なくせは直ぐには抜けないし、入院で落ちまくった(楽器演奏の)体力回復には時間がかかっているけれど、概ね元気。そして、毎朝希望に満ち溢れて起きる。治ったんだ。数日間はなかなか信じられなかったけれど、最近やっと現実味が湧いてきた。

入院生活はたくさんの病院の方々のおかげで、今思い返しても良い時間だった。
医療の力で治していただいたので、ここからは私の力で演奏を音楽をしていく番だ。活躍できるよう正しい方法で地道に頑張ろうと思う。

ジストニアの定位脳手術を受けるまでの期間のこと

2020年9月23日、左手ジストニアに対する定位脳手術を受けました。

手術を受けたいと思って、動き始めたのは2019年11月。外来の予約待ち、手術待ち、コロナの影響によって、手術までは約一年弱かかった。

その期間、覚悟をする時間として必要だったのかもしれない。

練習しても前に進まない身体で手術を待っている間、人生までもが前に進まないのは嫌だったので、YouTubeを始めた。少しずつだったけれど、たくさんの人と出会えた。生きていることが無駄ではないと少しだけ感じることができた。

私がジストニアを自覚したのは2018年1月、28歳のことだった。手術の前日に31歳になった。

音楽家として良い年齢の2年半以上、ジストニアを抱えて、思うような活動ができなかった。でも結果治った。絶望を抱えて生きていたこの期間もいつか過去になるのだろうか。

外来受診〜手術まで

2020年2月前半に東京女子医大の平先生の外来を受診。手術の約束をし、
そこでは「おそらく6〜7月くらいに手術かな」と言われていた。

手術の日程が確定したら1ヶ月前くらいに連絡をいただけるそう。

そんなこんなでCOVIT-19の感染拡大により、世界はあっというまに変わってしまった。2月末から6月いっぱいまで手術はストップしていたようで、私のもとに電話がきたのは8月18日だったかな。お盆休みの最後の日、スーパーで買い物していたらいきなり電話が入った。

このような世の中になるまではいち早く手術を受けたかったが、みんなが大変なこんな世界になってしまってからは、「私のような不要不急の手術はしばらくしてもらえないだろう」と半ば諦めていた。

手術を受ける覚悟の記憶も遠くなっていた。手術で2週間以上仕事を休むこと、万が一のことも考えて身の回りのことを片付けることで手術まではバタバタだった。

手術が決まって

術後の体調が良くなくてもYouTubeの更新が止まらないように、2ヶ月先まで動画の更新予約をした。ちょうど9月からはnoteでクラリネットサークルというサービスを立ち上げていたので、その運営にも追われている時期だった。

加えて、同居人にも家族にも手術のことを猛反対されていたので、一滴だって弱音を吐くことはできなかった。すべて私自身が望んで、自分で決めたこと。

入院にあたって金銭的な保証人を立てることができなかったので、先にお金を納めて解決した。それだけでよかった。ほとんど誰にも報告せずに手術をした。そのことで手術をしてもらえないのではないかとずっと心配していたが、そんなことはなかった。良かった。

とはいえ、もしもこの先身体が不自由になってしまったとき、何ヶ月も働かずに生きていける貯金なんてなかった。不安だった。責任はすべて自分でとるなんて言っても私ひとりにできることなんて、たかが知れている。

せめて、身の回りをきれいに整えた。いつ手術をするか知らない家族に手紙を書いた。コロナの検査を受けてから、入院することになっていた。

こんなに待って手術が受けられなかったなんてのは絶対嫌だった。
入院の日まで、バタバタと身の回りのことを片付けながら体調に気をつけながら過ごした。

ジストニアに対する定位脳手術を受けました

2020年9月28日月曜日。今は朝の6時。

楽器の練習をするのが楽しみすぎて早く目覚めてしまった。
あとは、1週間の入院生活で強制的に朝型の習慣がついた。

2020年9月24日(木)東京女子医大で定位脳手術を受けました。
信じられないことに、3年近く悩んだジストニアの症状が消えた。今のところ、心配されていた後遺症の症状(喋りにくさや麻痺、力の抜けなど)もない。

まだ術後間もないので、手放しに喜んで良い状況なのかわからない。だけど、おそらくこの先の人生、たくさんのことに挑戦できる身体にしてもらえた。


28歳のときに、ジストニアになってから、数えきれないくらいたくさんのことを諦めてきた。朝起きたら、いつもそこには緩やかな絶望があって、それを受け入れるところから1日が始まるという3年弱を過ごしてきた。

終わったのだ。そして、始まった。

この3年弱に私の身に起きた事を、少しずつ綴っていきます。

フォーカルジストニアは完治することができるのか

職業性のジストニア、フォーカルジストニア(局所性ジストニア)とは、ある一定の動作の動きをしようとしたときに、身体の一部が思い通りに動かずに固まってしまったり、震えてしまったりする病気です。

フォーカルジストニアは、楽器演奏に支障をきたすものとして、近年多くの音楽家が苦しんでいます。

フォーカルジストニアの基本的なことについてはこちらの記事でご紹介しています。
ミュージシャンのジストニアという病気について

明確な治療法が確立されていないフォーカルジストニアは、完治することができるのでしょうか

手術によって完治した人や、長年のリハビリ治療によって完治したという人を聞いたことがあります。
また、あるとき突然治ってしまった人がいるという話も専門家の先生から聞きました。

しかし、それは一部の人です。
多くのフォーカルジストニア患者は長年症状に苦しみながらなんとか楽器を演奏したり、演奏家としての道を絶ってしまったりしています。

フォーカルジストニアは自身の意思や努力に応えてくれるように完治することができる病気ではありません。

この記事ではクラリネット奏者であった私がフォーカルジストニアになってからのことを綴っていきます。

主観的になってしまいますが、実際に起きたことや感じたことを詳細にお伝えすることによって、フォーカルジスニアの現実を知る手助けになれたらと思います。

さまざまな改善方法を試した結果として、私のフォーカルジストニアの症状は徐々に軽減していきました
しかし、今現在でも完治はしていません

・フォーカルジストニア発症
・フォーカルジストニアの症状の緩和
・フォーカルジストニアの完治を目指した結果

以上の項目にわけて、私がフォーカルジストニアの完治を目指していった過程をお伝えしていきます。

フォーカルジストニア発症

私はクラリネット奏者として生活をしていましたが、今から約2年前にフォーカルジストニアの診断を受けました。

当時の私は、フォーカルジストニアの存在を知らず、診断の1年ほど前から「なんか指が回らないな」という気付きはありましたが、自分がフォーカルジストニアだと自覚するまでに時間がかかってしまいました。

結果として、「指が明らかにおかしい」と気付いたときには、左手の小指が全く機能しなくなるほど、ひどい状態になっていました。

フォーカルジストニアは、突然発症する人もいますが、少なからず前触れがあることが多いです。

当時の状態では、これまでに自分がおこなっていた演奏活動を続けることは不可能でした。
レッスンの仕事と一部の演奏の仕事を除いた全ての本番をキャンセルせざるをえませんでした。

「演奏活動を休止して、1年後に復帰します!」
と高らかに宣言していました。
何を根拠に1年と言っていたかは覚えていませんが、このときの私はフォーカルジストニアが1年で完治すると思っていました。

さまざまな治療法を調べ、フォーカルジストニア完治へ向けての日々が始まりました。

フォーカルジストニアの症状の緩和

フォーカルジストニアの症状が緩和していったきっかけはいくつかあります。
主に以下の3つのことがあげられます。

フォームの改善
症状の出る仕組みを理解
感覚再起のリハビリ(SMR治療)

フォームの改善

改善への大きなきっかけは4スタンス理論に出会ったことでした。

4スタンス理論とは、“身体の使い方によって人は4つのタイプに分かれ、自分のタイプにあったフォームや動きをすることでパフォーマンスを効率よく最大限に生かす ”といった理論です。

4スタンスを提唱している整体「廣戸道場」でタイプ診断と、自分にあった楽器の構え方の指導を受けました。

フォーカルジストニアになる以前の私のフォームは、自分の身体の特性にあっていないものでした。
自分の身体にあったフォームに改善をすることで、自然に指が動きやすい形を見つけることができました。

結果として、ジストニアの症状は軽減しました
自分にとっての正しい身体の使い方を理解し、ジストニアの症状がひどく出るフォームを回避することができるようになったからです。

4スタンス以外にも、ジストニアの研究をされているイザベル・カンピオン先生の講座を受けたことも、フォーカルジストニアの改善に有益な経験でした。

イザベル先生の講座で、より深く身体の仕組みについて理解することができました。
肩甲骨をしっかり使うことによって、指の動きまで改善するということを知ることができ、イザベル先生に教わった肩甲骨のストレッチは毎日おこなっています。

症状の出る仕組みを理解

私の場合は、「左手の小指が丸まってしまってうまく動かない」いうのが主な症状です。
しかし、小指だけ動かすとほぼ問題なく動くのです。
クラリネットを構えて、左手の薬指をおさえたときのみ、小指が動かなくなります。

フォーカルジストニアの特徴として、ある一定の動作のときにのみ指などが思い通りに動かなくなるということがあります

ジストニアの症状が出はじめると、どんどん指が丸まってしまってしまうので、できるだけ症状がでない方法で演奏をするようしていました

根本的な解決にはなりませんが、左手の小指を浮かせていると震え丸まりなどの症状が出てしまうので、左手の小指はキーの上にそっと置いておくようにしました。

フォーカルジストニアの症状がこれ以上ひどくならないようにすることによって、コツコツと少しずつできることを増やしていきました。

感覚再起のリハビリ

実際にフォーカルジストニアの症状の改善が叶ったのは「SMR治療(Sensory motor returning)」と呼ばれるリハビリ治療のようなもののおかげだったと思います。

音楽家のフォーカルジスニアは、症状がなくなって治るということは考えづらいです。
悪いものがとれるて治る、のではなく、新しい感覚を身体に覚えさせるといった方向で治療をしていくのが良いということに気づきました。


フォーカルジストニアでは、「症状を引き起こしている指」を固定すると、「症状が出ている指」が動くようになるのです。
言い方を変えると、「症状を引き起こしている指」のせいで、隣の指に症状が出てしまっているのです。

フォーカルジストニアは「症状が出ている指」と「症状を引き起こしている指」があります。
SMR治療の特徴は、「症状が出ている指」を自由に動かすために、「症状を引き起こしている指」を固定します。

このように突き指を固定する器具を使用して「症状を引き起こしている指」を固定しています。

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感想(7件)

この治療は指を固定する道具さえあれば、自分でおこなうことができます。

SMR治療を指定された期間おこなうことによって、何も吹けなかった頃の指の状態から回復することができました。

このほかにも、
・整形外科への数回通院(リハビリの方法を習う)
・カイロプラクティック
・神経科への相談

などさまざまな治療を試しました。特定の病院に通院することはせず、毎日の身体の使い方の改善やSMR治療によって、フォーカルジストニアの症状を回復させていきました。

フォーカルジストニアの完治を目指した結果

これまでにご紹介した方法で、フォーカルジストニアの症状は完治とは言えないまでも、著しく改善していきました。


フォーカルジストニアの診断を受けてから1年後には、小さなコンサートに出演、その半年後にはソロのリサイタルをおこないました。


しかし、ソロのリサイタルの練習の最中、どうしてもできない運指のテクニックがいくつもあり、「やはり完治はしていないんだ」という現実に直面しました。

その数ヶ月後にオーケストラの仕事を引き受けたときに、絶望を味わうことになります。

何度本番をおこなっても、やはり、同じ箇所の指の動きができない。
オーケストラの仕事で音がかけてしまうのはあり得ません。


なんとかして指を動かそうとした結果、フォーカルジストニアの症状がまたひどく出るようになってしまいました

症状を抑える術をたくさん覚えても、フォーカルジストニアの根本的な解決はしていないんだ。」
これ以上の症状の改善は望めない。完治は不可能なのではないか。

それは、フォーカルジストニアになったことが発覚した時と同じくらい、またはそれ以上に深い絶望でした。
ここではじめて、「フォーカルジストニアである自分自身を受け入れられていない」ことに気づきました。

フォーカルジストニアになる以前と同じような活動に戻ることを、どこかで夢見ていました。

しかし、フォーカルジストニアを持った自分を受け入れて、できることをしていくしか楽器を続ける方法はない。
その事実を受け入れるのはとても辛かったです。

日本ではフォーカルジストニアの外科手術が存在します。私は、手術はおこなわないと心に決めていたのですが、この絶望を受けて、手術を検討するようになりました。 

私が局所性ジストニアの定位脳手術を受けようと思った理由

正直、手術には抵抗がありました。
手術だけが、完治の道とは思っていません。

しかし、後悔しない覚悟があるのならば、フォーカルジストニアの完治に近づく方法のひとつである手術を受けるという選択肢もあります。

何年もかけてフォーカルジストニアが完治した、という話を聞いたことがあります。
しかし、音楽家としての仕事を十分にできないまま数十年後に完治したところで、何が待っているのでしょうか。
練習を止めたら、もう戻らない技術も、仕事もあるのは事実です。

多くの音楽家が完治まで待てずに、治療を止めてしまう理由が今はよくわかります。

フォーカルジストニアの状態では最低限の演奏技術を維持していくことでさえ、困難だと思います
仕事が十分にできなく、生活も変わります。日々の手の調子によって左右され、練習をしても、技術が積み重なっていくことは難しいです。

フォーカルジストニアになってしまったら、病気とどのように付き合って生きていくのか、何度も自分と向き合って生きていかなければなりません。

まとめ

フォーカルジストニアの完治は難しいです。

クラシックの演奏家として活動する以上、できない運指や、できない音の並びがある状態で仕事をしていくのは困難です。聴いている人が大丈夫といっても、なんとか演奏できている裏には、ジストニア患者本人の身体の無理と激しい心への負担がかかっています。

私の主治医の神経科の先生もおっしゃっていましたが、フォーカルジストニアとは正面から向き合うのではなく、一緒に過ごすくらいの気持ちで付き合うのが良いでしょう。
向き合えば向き合うほど、うまくいかないのがフォーカルジスニアです。

フォーカルジストニアが治らないという現実について受け入れられてからが、本当の完治への道かもしれません。

私が局所性ジストニアの定位脳手術を受けようと思った理由

音楽家のジストニア、局所性ジストニアの治療方法である「定位脳手術」を受けることを相談するために、以前にもかかった榊原白鳳病院の神経内科の目崎先生のところへ行ってきました。
局所性ジストニア発症して、もうすぐ2年。定位脳手術の存在を知りながらも、さまざまな理由から私は選択しませんでした。しかし、最近思うことがあり、定位脳手術を検討し始めることになりました。定位脳手術を受けるにあたっての正しい知識を共有できたらと思います。

以下の5つの項目に分けて、定位脳手術に関することを書いていきます。

・定位脳手術とは
・定位脳手術を受けるには
・定位脳手術の費用

定位脳手術のリスク
・定位脳手術を受けようと思った理由

定位脳手術とは


定位脳手術は、脳の中の特定の構造物をターゲットとして、そこへ電極を留置して治療を行う方法のことです。

東京女子医科大学HPより

近年、局所性ジストニアの治療のひとつとして、定位脳手術が用いられています。現在、局所性ジストニアの改善がもっとも期待できる治療だと言われています。

定位脳手術は2種類あり、
・電極を留置して熱凝固を行う「凝固術
・持続的に電気刺激を行う「脳深部刺激療法」局所性ジストニアの手術には前者がおこなわれることが多いとのことでした。後者は主にパーキンソン病の方に用いられる手術だそうです。

・凝固術のメリットとデメリット
1回の治療で治療を完結できる◎
組織破壊を行うので不具合が起きた時も取り返しがつかない△


・脳深部刺激療法のメリットとデメリット
組織破壊をせずに治療効果が得られるため、不可逆的な変化を起さずに治療効果を得ることができる◎
体内に機会を埋め込むので、機械の不具合や感染症、バッテリー交換、MRI撮影が困難、飛行機の保安検査で引っかかる、など△

以上の理由から、わたしのような若い患者さんには脳深部刺激療法をおすすめしないと目崎先生はおっしゃっていました。局所性ジストニアの手術の事例も多く、定位脳手術の凝固術をおこなっている東京女子医科大学の平先生という方をご紹介していただくことになりました。



定位脳手術を受けるには


東京女子医科大学の脳神経外科の平先生の診療を受けるには紹介状が必要です。
私は12月頭に紹介状を書いてもらい、その場ですぐに病院から連絡をしてもらいましたが、平先生の診療の予約ができたのは2月半ばでした。その日が最短の日だと言われたので、予定が合わせられないともう少し遅くなるということでしょう。


東京女子医科大学で診療を受け、手術を受けられると診断を受けて、手術の予約をするという流れだそうです。先生いわく、最近の様子を見ていると、手術は夏頃になると思いますとのことでした。
平先生の定位脳手術を受けるには、紹介状を書いてもらってから半年以上はかかるということです。


ちなみに、榊原白鳳病院の目崎先生の診療を受けるのにも紹介状が必要でした。私のクラリネットの生徒さんの同級生の方が医師で、この辺りで音楽家のジストニアに1番詳しい方だと言ってご紹介状を書いて下さりました。目崎先生とゆっくりお話をさせていただいた時間は、自分自身と向き合って治療の方針を決めていけることができるとても大切なものになりました。


ジストニアの治療のために他にもいろいろなところへ出向きましたが、話を聞いてもらえなかったり、傷つくことを言われたりすることが多く、そんなことに疲れ切っていた私にとって、目崎先生との出会いはとてもありがたいことでした。

ジストニアを治療するにあたって、信頼できる相談相手が必要だと思いました。それは、医師でなくて家族かもしれませんし、先生や友達かもしれません。理解してもらえているようで、なかなかうまく理解してもらえないジストニアという病気について、どんな距離感の人でも良いので信頼できる相手が一人存在するだけで、心が少し軽くなると思います。

定位脳手術の費用


費用の面が心配でした。定位脳手術の費用は高額という情報をインターネット上で見ていたため、私には払えない額なのではないか?という不安がありました。以下、その質問に対する答えです。


「もともとは150万円くらいかかる手術。しかし、保険適用で45万円くらい高額医療制度を利用したら実質負担額は15万円くらい(その人の収入による)」

だそうです。手術前に高額医療の申請をおこなっていれば、立替の必要もなく、初めから支払う金額が15万円くらいですむそうです。

定位脳手術のリスク

定位脳手術は、頭蓋骨に穴を開け、脳に刺激を与えます。日常生活には支障をきたさない音楽家のジストニアである局所性ジストニアにそこまで、危険な大掛かりな手術をおこなう必要があるのかということはさまざまなところで議論されているかと思います。

また、「本当にジストニアが改善されるのか」「後遺症などが残るのではないか」といった疑問が誰しも起こると思います。その2点についてもお答えいただきました。

・「本当にジストニアが改善されるのか」
東京女子医科大学で手術を受けた方に、改善に対して評価を5段階で示してもらったところ、95パーセントの方が4.5以上と答えたそうです。

・「後遺症などが残るのではないか」
重度、軽度問わず、後遺症などが出た方は全体の3%。

術後3か月以内に症状が再発し、再手術になるケースはあるとのことでした。(2017年の平先生のインタビューでは10人に1人と書いてありました)しかし、術後3か月後まで安定したのちの再発は、ほとんどないとのことでした。



定位脳手術を受けようと思った理由


それは、どうしても治したいからです。楽器が演奏できないだけで、リスクを伴う手術をおこなう必要があるのか?と自分に問いかけ続けていました。精神的に追い詰められているから、適切な判断ができなくなっているのではないか?となんども自分自身と対話をしました。しかし、何度考えても私の人生から楽器を取り上げることはできず、仕事をするにあたっても、回復は必須なことだという結論しか出ませんでした。


私はジストニアを発症していると診断を受け、1年間楽器の仕事をお休みして、1年後に復帰できるように治療しようと決めました。何をもって1年と決めたのかは今となっては謎です。そのくらい局所性ジストニアについてわかっていませんでした。リハビリ治療で症状を緩和することができていたので、その調子で完全に治ると思っていました。

リハビリ治療の結果少しずつ演奏できるようになり、一応有言実行で1年後から少しずつコンサートをしていくようになりました。
リハビリ治療で症状を和らげること
ジストニアの症状がでないような方法で演奏する
このふたつをおこないながら、なんとか騙し騙し活動をおこなってきました。


半年前にはソロのリサイタルもおこない、最近ではオーケストラでも演奏しました。
しかし、どうしてもできないテクニックがあるのです。それがジストニアのせいだとは思わないよう思わないようにしていましたが、ある時気づいてしまったのです。
「演奏できるようにはなっているけど、根本的にジストニアの症状はとれていない。」
ということに。いや、本当は気付いていました。しかし見ないようにしていたのです。


そんなときに、前にかかっていた榊原白鳳病院の目崎先生の言葉を思い出したのです。
「治療は自分自身が納得しておこなうものです。治療をステップアップさせるのに適した時期というのは、自分がそうしたいと思ったときです。」
目崎先生は、ご自身の意見を言うことがあっても、なにかを強制したり強く勧めたりはしない方です。1年ほど前に、はじめて目崎先生の診察を受けた時、私は定位脳手術をおこなわないつもりでした。先生は冷静にジストニアの治療の方法と可能性を提示してくださりました。
定位脳手術のことはずっと知っていました。しかし、そのリスクや、周りの反対、手術への恐怖から自分の中で除外して、考えないようにしていました。


定位脳手術は、現在おこなえる治療法の中でもっとも改善の確率が高い治療です。私は2年近くかけてやっと、定位脳手術を受けようという思いになりました。もっと早く決断できなかったのか、と後悔しそうになったこともありましたが、このジストニアと試行錯誤した時間は必要な時間でした。


定位脳手術の結果、すぐに楽器が上手に吹けるというわけではないことはわかっています。手術を受けた方が、術後のリハビリに苦労している姿は知っています。しかし、ジストニアを治さない限り、この先に行くことも、このまま演奏を続けることさえもあまりにも苦しいと思ったのです。もう、どんな結果になっても後悔しないと思います。それは、勢いではなく、手術に踏み切る気持ちになれた、これまでの時間のおかげだと思っています。最終的に手術をおこなうかどうかは、平先生の診察を受け、相談を重ねてから決断しようと思います。



ミュージシャンのジストニアという病気について

ミュージシャンのジストニアは、指や手首が固まったり丸まったりしてしまい、思うようにコントロールができなくなり、楽器の演奏に支障をきたすという病気です。

熟練のミュージシャンに現れることが多い病気で、プロのミュージシャンの100人に1人がジストニアにかかっているというデータがあります。ミュージシャンのジストニアは、絶対的な治療法が確立されていないことから難治病といわれています。

ミュージシャンのジストニアは筋肉や骨に特別な異常は見つからず、はっきりとした原因は不明だと言われています。

動作異常は楽器の演奏時にのみあらわれ、日常生活には支障をきたしません。しかし、楽器を演奏することを生業としているミュージシャンにとって、楽器の演奏が思うようにできなくなることは、命を奪われるような心地でしょう。

ミュージシャンである筆者も、ジストニアを発症しています。この記事では、ミュージシャンのジストニアについて、経験談も踏まえて正しい知識をお伝えしていきます。



ミュージシャンのジストニアとは

ミュージシャンのジストニアは、指や喉などの身体の一部に症状が現れることから、「局所性ジストニア」または「フォーカルジストニア」と呼ばれています。

ミュージシャンのジストニアは神経疾患のひとつです。症状としては、動かそうとする筋肉と相反する動作をおこなう筋肉(拮抗筋)が同時に収縮を繰り返すことにより、異常動作が起き、自分の意思通りに指などが動かなるというものです。

脳が指令を出し、それに筋肉が反応するといった訓練が繰り返され、楽器の演奏技術は身についていきます。超絶技巧が可能になる仕組みは、脳の指示と筋肉のワイヤリング(回路のつながり)がキーポイントとなっています。

ミュージシャンのジストニアは、なんらかの間違った形でワイヤリングされた結果として、異常な動作が起きると言われています。

・具体的な症状
筆者の場合(クラリネット)、左手の薬指を抑えると、小指がこわばってしまい、自分が思うキーを抑えられないという症状があります。楽器を持たないで同じ動作をしても、異常は起こりません。ミュージシャンのジストニアの患者の特徴として、楽器を持たずにその動作をおこなっても異常動作が起きないということがあります。

・発症の原因
発症の原因は特定されていませんが、ジストニアになるミュージシャンは、高いレベルでの集中的な練習を長時間おこなっていることがほとんどです。


私自身もそうでしたが、ジストニアの症状が現れはじめたとき、多くのミュージシャンは「うまく演奏できないのは自分の練習不足が原因」だと思って練習時間を増やしたり、一箇所をなんども繰り返して集中的に練習したりしてしまいます。
しかし、ジストニアが原因の場合、そういった過剰な練習は逆効果で、症状をひどくさせる原因のひとつとなってしまいます。

ミュージシャンのジストニアの治療法

ミュージシャンのジストニアは、この治療をおこなったら絶対に治ります!という治療法がありません。多くのジストニアのミュージシャンはこの事実に絶望してしまうでしょう、しかし、現在さまざまな治療法が考えられています。

【ミュージシャンのジストニアは何科にかかれば良い?】
ジストニアは脳神経の疾患なので、神経科が専門となるでしょう。しかし、様々な分野からミュージシャンのジストニアの治療法が考案されているので、神経科以外にも、整形外科などでもジストニアの治療をおこなっているところがあります。

ミュージシャンのジストニアの治療法には以下のものがあります。
・内服薬
・リハビリ類
・ボツリヌス注射
・脳への電気刺激
・外科手術

いずれの治療法も、確実に治るというものではありませんが、ジストニアを完治した人はいます。焦ることなく治療に対して向き合うことが大切です。

ジストニア発症の原因が、無理なフォームで演奏していたことからくる局所への負担だということは多いです。病院に通うだけが治療ではなく、楽器演奏時の身体の使い方を見直すこともジストニアの症状を和らげるには必要なことだと考えられています。

ジストニアを公表している著名なミュージシャン

最近、著名なミュージシャンがジストニアにより活動を休止せざるをえない状況になってしまったというニュースをよく目にします。完治した方も含め、以下の方々はジストニアを公表されている著名なミュージシャンです。(敬称略。wikipediaより引用。)

  • IMAJO(サイキックラバー)  ギタリスト
  • 金子隆博(米米CLUB)  サクソフォーン奏者
  • 熊谷徳明(元カシオペア・TRIX) ドラマー
  • 小渕健太郎(コブクロ) 歌手、ギタリスト
  • 白鳥雪之丞(氣志團) ドラマー
  • 田中義人  ギタリスト
  • 山口智史(RADWINPS) ドラマー
  • 庄村聡泰 ([ALEXANDROS])  ドラマー
  • 田島智之 (元Aqua Timez) ドラマー
  • YOSHIAKI(175R) ドラマー

以上の方々はほんの一部で、ほかにもジストニアに苦しむミュージシャンはたくさんいます。

私がジストニアを公表したときに、たくさんの励ましのお言葉をいただいたのですが、その中で「実は自分もジストニアです」「公表していないけれど、あの方もジストニアなのでアドバイスをもらえると思います」といったことをたくさん聞きました。

自分がジストニアになってはじめて、ジストニアに苦しむミュージシャンはたくさんいるということを知りました。

ジストニアのミュージシャンの精神状態

ミュージシャンのジストニアは精神的なストレスからくるものと言われていますが、立派な身体の病気です。

もう一度言います。ミュージシャンのジストニアは病気です。

命に別状がなく、日常生活は問題なくおこなえることから、ミュージシャンのジストニアは重大な病気だという理解を得られないこともあります。

しかし、楽器を使って音楽を奏でることを生業、そして生きがいにしているミュージシャンにとって、思うように楽器演奏ができないことは命をも奪われた心地です。

治療法が確立していない、そして長期に渡ることが多いことから、治療のゴールが見えず、精神的にまいってしまうミュージシャンも少なくありません。

近年はインターネット上で知識を得られるようになり、ミュージシャンのジストニアについての情報も多くなってきています。

一方で、間違った見解や確かではない情報が広まっているのを目にすることも多くなりました。藁にもすがる思いでインターネット上で検索をすると、自分にとって都合の良い記事ばかり目に入ってしまいます。信頼できる情報源から、正しい知識を得るという判断力を失わないよういに気をつけたいものです。

ミュージシャンはジストニアになってしまったとき、どのような道を選ぶのか自分自身で選び、切り開いていかねければなりません。また、ジストニアになっていないミュージシャンもジストニアの知識を持っておくことが必要だと私は考えます。

なぜなら、ジストニアは予防できると考えているからです。ジストニアの予防については、また別の記事でご紹介したいと思います。



まとめ

ミュージシャンのジストニアは、局所性ジストニアという、脳と筋肉をつなぐ回路に異常をきたす神経疾患です。治療法は確立されておらず、ジストニアに苦しむミュージシャンはたくさんいます。自分にあった治療法で、希望を持って治療をしていくのか、ジストニアと付き合いながら演奏をして生きていくのか、どんな道を選ぶのかは自分次第です。

ジストニアのミュージシャンが、自分にとっての正しい判断を後悔なくできることを願っています。このブログでは、私自身の治療の記録も綴っていきますので、参考にしてくだされば幸いです。